「趣味って何ですか?」こんな地獄のような質問がある。「休みの日は何をしているんですか?」これも同様だ。
今回はそんな話をしようと思う。
そもそも趣味らしい趣味がない問題
残念ながら私には趣味らしい趣味がない。
しかし世の中はそれを許さない。「趣味ですか?特にないですねー」
こんなことを言おうものなら、あっという間に”つまらない人”というレッテルを貼られてしまう。
人によってはさらに詰めてくる。「じゃあ休みの日とか何をしているの?」くらいならまだかわいいもので、「何のために生きているの?」とまで言われたこともある。
だからとりあえず無難な趣味を言う。「読書とか散歩ですねー」
事実本当に好きなことだし、休みの日もおこなっていることだ。
だがしかし、これでもダメらしい。この返答で反応がよかった試しがない。付き合う人が悪いのだろうか。
なんて言えばいいのだろうか。「ダイビング?」「フットサル?」「カフェ巡り?」
なんか順番が逆のような気がする。
他人の受けをよくするために、趣味を見つけているような気がする。
趣味というのは、自分が楽しいと思えることをして、それがいつのまにか趣味になっていくものではないだろうか。どうしてもそんなことを考えてしまう。
これを趣味って言っていいのだろうか問題
本当に趣味と呼べるものは大してないと思っている。
その裏側には、こんなこと趣味って言っていいのだろうか、という思いがある。
「大して上手くもないのに、趣味っていうのはおこがましい」「そこまで時間をかけて取り組んでいるものではないしな」こんなことを考えているので、”趣味らしい趣味がない”という結論に至ってしまう。
他人の視線が恐怖
これは他人から馬鹿にされるのではないかという恐怖が含まれている。
たとえば、趣味に野球と答えたとしよう。野球部だったこともあるし、答えようと思えば答えられる。
しかし、もし流れで今度野球を一緒にやりましょうなんてことになったら大変だ。「自分が下手だと思われたらどうしよう、落胆されて馬鹿にされたらどうしよう」こんなことばかり思いついてしまう。
キャンプも例に挙げてみよう。昔よくやっていたので言おうと思えば言える。有名なキャンプ場なら大体わかる。
しかしこれに関しても、一緒にキャンプをやることになったら一大事である。「自分のキャンプの知識は正しいのだろうか、そこまでいい道具も持っていないしな」こんな感じである。
10000歩くらい譲って口にするとしても、「キャンプとかは昔よくやってましたねー、まあだいぶ前の話なので、今はもう全然ですけど」なんていらない保険をかけまくる始末である。
自分がそう思うから、他人もそう思うと思っているのか
「いや、趣味っていう割には下手じゃねーか!」と思われることが怖いということは、自分が他人に対して同じことを思うからである。
もし、趣味がお菓子作りなんていう人がいて、ダークマター的なものを出して来たら「いや、趣味っていう割には下手じゃねーか!」と思うこと間違いなしだ。
世の中には、そういうことを全く思わない人もいるらしい。自分がそう思わないから、他人もそう思うだろうという思考に辿り着かない。そもそも自分の中にその概念がないのだから。
他人の恐怖を取り払うには、まず自分の思考から見つめなおす必要があるのだろう。
いや、これはなかなか難しいことである。
他人の趣味にそこまで興味がない
他の人がなんの趣味をしていようが、自分には全く関係のない話である。「へーそうなんだー」くらいにしか思わない。
実際のところそういう人がほとんどなのだろうが、私はとくにその傾向が強い。
他人に対してそこまで興味がないから、他人も自分の話にそこまで興味がないだろうと思っている。
だから、他人に趣味の話題も振らないし、振られたとしても、「大して興味ないんだろうなー」と思いながらてきとうに返事をすることになる。これでは人間関係の構築など到底難しい(笑)。
この質問ができる人は羨ましい
「趣味って何ですか?」という質問は確かに私にとっては地獄のようなものである。
しかし、その質問をしてくれる人がいるからこそ、飲み会や食事の時に会話が進むのも事実である。
そういう質問を何も考えずにできる人になりたかった。だから、そういう質問をすっとできない自分が情けないし、その質問に対して地獄のような質問だと思ってしまう自分に腹も立つ。
いったいどこで間違えたのだろうか。生まれつきのものなのか、それとも今までの環境の影響なのか。自分以外にこう思う人はいないのだろうか。
そういうことばかり考えている。もう少し楽に生きてみたいものである。
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